医薬品産業の歴史

明治維新後


明治維新後
ドイツなどから積極的に西洋医学の導入が始まりました。

1870年(明治3年)
売薬取締規則の制定など、医薬制度の整備が始まる

1887年(明治20年)
日本薬局方が施行され、医薬品の規格の標準化が始まった


皆保険導入前


第一次世界大戦後
軍事上の観点から医薬品の国産化が急務とされ、モルヒネ抽出、アスピリンなどの医薬品合成が始まりました。

昭和20年代(1945年以降)
慢性的な栄養不足状態、劣悪な衛生状態により、わが国では感染症が猛威を奮っていましたが、国内の新薬創出力は乏しく、ペニシリンやストレプトマイシンなどは米国などからの輸入に頼っていました。

これらの医薬品はきわめて高価なものであったため、容易にすべての患者が恩恵に浴することはできず、栄養補給剤としてのビタミン剤、強肝剤、保健栄養剤が主流でした。


皆保険導入後


1961年(昭和36年)
国民皆保険制度の導入により、患者は医療を受けやすくなり、医療用医薬品の需要が高まりました。

昭和40年代
経済成長と医療保険制度拡充により増加した医療需要に応え、欧米からの製品・技術の導入、販売活動の活発化、設備の増設を進め、医療用医薬品の生産金額が急激に伸びました。

1970年(昭和45年) 
1兆円産業に達しました。

昭和50年代
経済の低成長期でしたが、医療用医薬品の需要は引き続き高い伸び率を示し、製薬産業は、一時期を除き、おおむね好調な成長を遂げました。

医薬品の安全性・有効性の確保に関連する国の一連の施策は、製薬産業の本格的な研究開発活動を促進することとなりました。


流通秩序の混乱


昭和40~50年代
医療用医薬品の販売をめぐり、製薬企業間のシェア争奪競争が激化し、過当競争による市場の混乱や、流通上の諸問題が次第に深刻化し、医療用医薬品の不適正な販売が行われたことに対し、社会的批判が高まりました。

1970年(昭和45年)
中央社会保険医療協議会(中医協)は添付行為を行った医薬品を薬価基準から削除することを決定し、実際に削除された事例も発生しました。

その後も市場の混乱は続き、業界は自主的行動によって対応する努力を試みてきました。

薬価基準からの削除とは・・・
その製品が使われなくなることを意味します。
実際に薬価が削除された事例も数件発生。

1981年(昭和56年)
大幅な薬価引き下げに対する企業の対応策が独占禁止法違反との勧告を受けたことが、公正競争規約の策定に繋がりました。

1992年(平成4年)
製薬企業が卸売業者の再販売価格に強く関与していたことが独占禁止法に抵触するおそれがあるとして、公正取引委員会は値引補償方式を廃止するよう指摘し、医薬品の流通が新仕切価制へ本格的に移行しました。